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令和6年度・暁天講座が勤まりました!

令和6年7月13日~15日の3日間にわたり、佛光寺本廟の暁天講座が勤まりました。朝の7時からという早い時間ではありましたが、大勢の方がお参りをされました。3日間で聴聞に来られた方が約150名、ライブ配信で聴聞された方が約85名おられました。

今年も昨年に引き続き、3名の先生方にお話を頂戴しました。

13日(土)は真宗興正派参務、北岑大至先生が「ご本願は老少善悪の人を選ばれず」という講題でのお話、

14日(日)は大谷大学学長、一楽真先生が「真実明に帰命せよ」という講題でのお話、

15日(月)は勝友会会長、中井賢隆先生が「持って死なれへんで!」という講題でお話をいただきました。
皆様、熱心に「うんうん」と頷きながら聴聞をされていました。

3名の先生方のお話をご聴聞させていただき思ったことは、この私自身が持っている「私中心の根性」「私の物差し」というものが如何にやっかいなものであるかということです。私たちは、すべての物事を私中心で、私の感覚で見ています。そしてそれを疑おうともしないし、間違っているなんて思いもしない。若い頃は周りの方々に色々とご指摘をいただくことも多かったですが、歳を重ねるとそういうことも無くなってくる。そうなると、自分の物差しが間違っているということにもなかなか気付かなくなってくる。本当にそれって危ないな!と思いました。

以前にあるご法話でこのようなことを聞かせていただきました。仏法をご聴聞させていただくと、どうなるのですか?という質問があったそうです。ご聴聞すると、賢い人になるわけでもない。優しい人になるわけでもない。人生が楽しいことばかりになるわけでもない。仏法をご聴聞すると、「私の命をあるがままに、ありのままに生かせていただける道が開かれてきます」と教えていただいたことがあります。
それは、どんな物事でも自分の物差しで見ておる愚かな私に気付けたということではないでしょうか。

仮にそのような愚かな姿に気付けたとしても、またすぐに自分の物差しで見てしまうあり方に戻ってしまいます。だからこそ、日々聞法、仏法の教えを聞き続けるしかないんです。そのようなことを思わせていただきました。

最後に今年も、様々な方々のご尽力により無事に暁天講座を終えることができました。有難うございました。感謝申し上げます。
どうぞ来年の暁天講座もよろしくお願いいたします。