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令和6年8月八日講が勤まりました!

8月に入り、気候もすっかりと真夏になりました。暑い中でしたが、7名の方がお参りいただきました。

本日の布教使は、滋賀県竜王町の西光寺住職・富長宗生師でした。八日講では初めてお話を賜りました。

納骨追弔法要ということで、冒頭に「弔う」という言葉について教えていただきました。「弔う」とは亡き方を偲んで手を合わす事なんだけれども、「弔う」には別の字がある。「訪う」と「問う」。いずれも「とぶらう」と読むそうです。その中でも特に「問う」という事についてお話をいただきました。

ご自身がまだお若い頃、亡くなっていかれたご門徒さんのお顔を見ることができなかったそうです。死顔を見るのが怖かったそうです。しかしながら歳を重ね、ご自身のご家族が亡くなっていかれたご縁を通して、段々と死が怖くなくなってきたそうです。
一番、死というものを考えさせられるのは、やはり家族・身内や知り合いが亡くなった時、その時に死と向き合うことができる。

普段の生活ではなかなか死と向き合う事がない私たち。しかしながら身内の死を通して、死ぬとはどういうことなのか、生きるとはどういうことなのか、自分自身を問う。そういう機会をいただくのが仏事であると教えていただきました。

改めて自分自身を問い直しさせていただきました。