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令和6年12月の八日講が勤まりました!

今年、最後の佛光寺本廟・八日講。日曜日という事もあり、20名の方がお参り下さいました。

本日の布教使は、東京の西徳寺・高橋淳師でした。昨年の12月にも、八日講にて布教を賜りました。
「みる」という字にも色々な漢字があることを教えていただきました。物をみる時は「見る」という字を使う。紅葉をみる時は「観る」を使う。病人をみる時は「診る」を使う。「みる」という字にも色々な漢字があり、当然それぞれ意味も違う。

「あう」という字にも色々な漢字がある。友達に「会う」、恋人に「逢う」、悪いことに「遭う」、色々あります。その中で親鸞聖人は「遇う」という言葉をよく使われた。意味は、「思いがけずにであうこと」。

ご自身が大学時代、実家を離れて一人暮らしをされた。その時に出遇ったのは、両親の偉大さ、大きさ。
当たり前に、お金を稼いでくれることがどれだけ有難い事であったか、当たり前に家事をやってくれることがどれだけ有難い事であったか。その人と離れてみてその人に出遇う。(その人の存在に気付く)。そういう事って、生きている中で、結構あることではないかと。

最後にこのようなことをお話いただきました。


【既にいただいていた私に出遇う それが仏教
当たり前のことをもう一度考えさせる それが出遇い・それがよろこび
身近な方を通してそのことに出遇う】

何もかもが当たり前で生活をしておる私たち。その中身は、日々に何の感謝も持たず、ただただ日々をこなす。
仏法を聴聞すると、何気ない事や出来事が「出遇い」に変わり、私を育む大きな大きな力になる。

「出遇い」。改めて考えさせていただきました。