
令和7年2月の八日講が勤まりました!
大雪が降り、佛光寺本廟の境内地も雪がたくさん積もりました。そんな中でも、4名の方が納骨追弔法要にお参りいただきました。

本日の布教使は、大阪市の霊松寺住職・脇阪義仁師でした。昨年の2月の八日講でも布教を賜りました。
2月15日がお釈迦様が亡くなられた日で、それに因んで涅槃図ということについてお話をいただきました。
お釈迦様が亡くなられた時のお姿が頭北面西右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)という言葉。頭は北向き、お顔は西を向き、右脇が下になった状態のお姿で亡くなっていかれた事を教えていただきました。西を向いた先にはお浄土があり、そこはこの私の原点であり故郷であると。私の命は必ずそのお浄土に往生するのだ、心配は無い安心できる世界であると教えられます。日々の私の生活がお浄土という命の故郷を向いて、お念仏をする日暮らしが出来ているのか考えさせられました。

また、その方が亡くなって身体自体がなくなってしまっても、それで終わりではない。亡き方が働きとなってこの私のところに還ってきて下さるという「還相回向(げんそうえこう)」という言葉についてもご紹介いただきました。
私たちの日々の忙しい生活では、なかなか死ぬとか生きるとかそのようなことは考えません。目の前の事柄をこなす事で精一杯です。でも家族であったり、親族であったり、知人であったり、そのような方が亡くなっていかれると私たちは急に死ぬとはどういうことか、また今こうして生きているとはどのようなことなのか、考えさせられるんです。亡くなっていかれたことは、悲しいことだし、辛いことだし、あってはならないことです。
でもその悲しい辛い事実を通してのみ、見えてくる世界、感じる世界があるんです。それが亡くなっていかれた方が働きとなって私のところに還ってこられる意味なのでないかと感じました。

改めて、法事や追弔法要をお勤めする本当の意味を考えさせられた貴重な時間でした。ありがとうございました。