
令和7年3月の八日講が勤まりました!
3月に入りましたが、少し寒い日でした。しかしながら土曜日ということもあり14名もの方がお参りいただきました。

本日の布教使は滋賀県竜王町の円覚寺住職・菅原貴之師でした。
お彼岸が近いということもありお墓参りのお話をされ、その中で亡くなっていかれた方のお話をしていただきました。
お骨になられてお姿が変わられても、大切な人であるということは変わらない、本当の意味で亡くなっていかれた方と向き合える時間ではないかとお話をいただきました。

そしてそういった大切な方の死を通して、死とも向き合える大切なご縁であると教えていただきました。
私たちは自分も死んでいくということを知っている。知ってはいるが、本当に自分の事として捉えることがなかなか出来ない。
死に対して蓋をしてしまっている私たちがいる。しかし、それを本当に自分の事として死ぬとはどういうことか、そして死んでいくこの命を今こうして生きているとはどういうことか、考えさせていただくことが大事であると教えていただきました。

最近、24歳の若さで亡くなられた女性の実話、「余命一ヶ月の花嫁」という本を少し読みました。そこには、自分の命はあとわずかであると分かったその女性の言葉がそのまま綴られていました。
「明日生きているか分からない状況で皆さんに明日がくるのは奇跡です。それを知っているだけで、日常は幸せなことだらけで溢れています。」こう書かれていました。また自身の伯母さんに言われた言葉もありました。「生きているって奇跡だよね、いろんな人に支えられて生きているんだよね。もう私、仮に体が元気になったらすごい人間になれると思うよ。」とこう書かれていました。
そう、こうして生きていること、命があること、自分の日常が奇跡なんです!!
改めて私自身が生かされている日常を考えさせられました。有難うございました。