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令和8年4月の八日講が勤まりました!

すっかり春めいて暖かい気候になってまいりました。本日は17名の方がお参りに来られました(^^♪

本日の布教使は、大阪市霊松寺住職・脇坂義仁師でした。昨年も八日講にてご法話を頂戴しました。
ご自身の子どもさん達に就職や入学式などがあり、新しい環境に身を置いて頑張っておられるお話をされました。
確かに子ども達は1日1日に新たな出遇いがあり、感動があるような気がします。私の長男もこの春に中学生になり、入学式を迎えますが本当に次から次へと新しいことをやっています。新しい制服、新しい自転車、新しい鞄、新しい友達(^O^)
それに比べて40歳を超えた中年の私はどうか・・・。本当に変わらない日々を過ごしていることを感じました。

布教では娑婆の世界を出るということについてお話をいただきました。娑婆の世界を出るとは、「この命の縁が尽きた時」という風にも捉えられます。しかし、脇阪氏はこのように言われました。「この苦しみ悩み多き世界を出る時。」
私たちは苦しみや悩みが無くなると、本当に嬉しくなります。悩みが無くなると、また明日から頑張っていこうという活力が出てきます。本当に清々しい気持ちになります。これが「苦しみがなくなること=救いである」と私たちはそのように考えます。
しかし仏教ではそれを救いとは教えません。なぜなら、仮に苦しみ悩みが無くなっても、また次から次へと悩み苦しみがやってくるからです。

ある布教使の方がこのようなことを言われていました。「本当の不安、悩みを通して仏教の教えがこの私に響いてくる。それがやがて私の人生の肥やしとなり、救われていくのではないか」と。
浄土真宗の御本尊である阿弥陀様は、蓮の花の上に立っておられます。蓮は本当に見事に綺麗な花を咲かせますが、蓮の花は綺麗な水の中では育たないそうです。汚い汚い泥水の中で綺麗な花を咲かせる。
汚い汚い泥水とは、当に私たち人間の煩悩にまみれたあり方に例えられます。でもそういった煩悩(苦しみや悩み・不安)それが肥やしとなって見事に綺麗な蓮の花を咲かせることが出来るのです。

「本当の不安、悩みを通して仏教の教えがこの私に響いてくる。それがやがて私の人生の肥やしとなり、救われていくのではないか。」この言葉を改めて考えさせていただきました。