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9月度の八日講が勤まりました!

9月に入り、まだまだ暑い日が続いています。そんな中、14名の方がお参りをいただきました。

本日の布教使は、新潟県の梵行寺・木村恭裕師でした。今回、初めて八日講での布教を賜りました。

阿弥陀如来のことが書かれている正信偈の御文で、阿弥陀如来になる前の法蔵菩薩という方のお話をされました。法蔵菩薩という言葉は正信偈で聞いたことはありましたが、なかなかその詳しい内容を分かりやすく聞かせていただくことはありませんでした。

仏さんは「ほっとけない」という思いを私たちに向けてくれている。よく考えると、誰かが私に「ほっとけない」と思ってくれているから私がいる。なかなか気付かないけれども、そのような中を生きている。
そして「仏」という字に3つの線を入れると、「私」という字になる。その3つの線は誰にでもあるもの。「怒り、欲、愚痴」であると教えていただきました。
日常生活の何気ないことで、誰もが怒りを覚え、欲が出てきて、愚痴を言う。どんな人でもそうなんです。そしてどんな人でもそれによって悩み苦しんでいる。

そんな時って、ただただ話を聞いて欲しい、悩みを聞いて欲しい。答えなんていらない。ただただ聞いて欲しい。それを聞いて下さるのが阿弥陀如来という仏さんであると教えていただきました。

私たちって、自分は悩み苦しみ一杯でなかなか明るい方向が見えてこないことがある。でも何故か、自分の周りにいる人たちはそのように見えない。でも本当にみんな、それぞれの立場や境遇で悩み苦しんでいる。時には家族や友人、職場の仲間に思いっきり、話・悩みを聞いてもらうことも大事かもしれません。それでスッキリすることだってあるかもしれない。
私はお寺ってそういう所なのかなぁと思いました。年齢や職業を問わず、色々な方がお参りに来る。お参りが始まる前はお互いの近況を話したり、ちょっとした小言や文句を言ったり、聞いたりする。お互いに少しスッキリして、みんなが同じ方向を見て阿弥陀さんに手を合わす。日常を少しかもしれないがリセットして帰る。そしてまたお寺に来て話や悩みを聞いてもらう。

是非、みなさんまたお寺に足を運んでください。もちろん亡くなられた方を偲ぶのが大事なことですが、ご自身の悩みや苦しみを出す場所としても。
職員はいつでも皆様のお越しをお待ちしております。