令和4年6月八日講が勤まりました
6月に入りそろそろ梅雨入り間近の季節となりましたが、今日は晴れの日でした。そんな中12名の方がお参りされ、令和4年6月の八日講が勤まりました。
本日の布教使は大阪府大阪市、西光寺住職・寿栄松正顕師でした。寿栄松師は49歳とお若い住職で見た目が少し強面ですが、本当に誰にでも気さくにお話をされ、そしてフットワークが軽くてどんな時でも動いてくれる。また裁縫が得意で、皮を使って自分の財布やキーケースを作ったりする程の手先が器用な方です。そんな方が本日、佛光寺本廟の八日講で、三毒の煩悩(貪欲・瞋恚・愚痴)からお話をして頂きました。
師は釣りをするのが趣味だと仰いました。そんな中で貪欲・瞋恚・愚痴をよく感じる事がある。
①まず長年、釣りをしていると次から次へと釣れる道具・ルアーが欲しくなる。本当に次から次へと絶え間なく・・・。欲しい欲しいという欲にかられ、色々なルアーを購入してしまう。これがまず貪欲。
②そして、自分が欲しい欲しいと思って購入したそのルアーで釣りをしてもなかなか釣れない事も多い。自分が欲しい、良いと思って購入したはずなのに・・・。気が付くとその道具・ルアーのせいにして段々と腹が立ってくる。これが瞋恚。
③釣れない原因を自分が欲しい、良いと思って購入した道具・ルアーのせいにして、自分の釣りの下手さには目もくれない。他者に原因を持って行って自分の方には原因を向けない。真理・道理が見えていない。これが愚痴。
それを聞かせて頂いて、なるほどなぁと感じました。でもなかなか普段の生活を顧みても煩悩は切り離せない。寿栄松師も「私達は煩悩から逃れられない。だが、既にそんな煩悩まみれの私達の元には完成されたものが届いている。阿弥陀仏の他力の働きが。」と仰いました。私の煩悩まみれの愚かな生き方を照らし気付かせて下さる働きであると私は頂きました。
そして最後に寿栄松師はこう仰いました。「亡き人(仏様)を通して仏法に出遇っていく」
そんな時、以前に聞いた話を思い出しました。「自分の思いだけで、周りからの思いを考えることもなく生きている私。自分の思いだけで、周りからの願いを考えることもなく生きている私。」
あ~そのような生き方をしておるなぁと改めて痛感させて頂いた時間でした。