令和5年8月八日講が勤まりました
暑い日ではありましたが、10名の方がお参りをされました。
本日の布教使は、滋賀県彦根市、和光寺住職・菅原良暢師でした。
昨年の8月の八日講でもお話を頂きました。冒頭で、法事や今日のような法要は、大切な方が亡くなられてそれで終わりではなく、その大切な方が亡くなられたという事実がこの私にどんな意味をもたらすのか、考える場であるという事をお話されました。その中で大事なことは、仏様の教えを聞いて日頃の私たちの在り方を見つめ直すことです!と教えて下さいました。
私たち誰もが持っている、自分中心の心・自分の思いで物事を見る心を「愛憎違順・あいぞういじゅん」という言葉で説明されました。思うようになればますます貪りの心が増え、思うようにならなければ怒り憎しみの心が増える。この好き嫌いの心は、何度聴聞しても無くなることはない。何度お説教を来ても腹が立つときは腹が立つ。
私もそうです。何度、仏様の教えを聞いても、物事が全然思うようにいかないと腹が立ちます。本当に情けない姿です。
でも菅原布教使はこう仰いました。「仏法聴聞しても腹は立つ。でも聴聞してたら、しばらくしたら、あ~自分中心の思いでこれを見ていたなぁとか、自分の都合でこの人を見ていたんやなぁというのが見えてくることがある。それが大事なんです!我が身をたずねさせていただく事が大事なんです!」と熱弁いただきました。
私が「うんうん」と頷くと、横の参詣者の方々も「うんうん」と頷きながら聞法されていました。皆さん、私も含め、我が身を見つめ直す良い時間を頂戴しました。有難うございました。